嫌いな友達

9歳から親元を離れ、10年にわたる入院生活を送った。年齢層は、ぼくのような子供からお年寄りまで、バラバラである。共通しているのは何らかの障害により日常生活が一人では行えないということ。

入院して1年が経ち、新たな患者が入院した。
彼はぼくより2つ年上で、併設する学校でも一緒に授業を受けることもあった。数少ない同年代だ。すぐに打ち解けてぼく達は友達になった。病室は違うものの毎晩共有スペースで、スマブラやウイイレをし、熱中しすぎて鼻血を出すこともあった笑

彼は中学部に進学すると急に先輩っぽくなった。今まで同じ目線で遊んでた友達が、ある日から上から目線で話すようになった。少し違和感があったものの変わらずぼく達は遊んだ。

当時のぼくは、自分に自信もなく目立った特徴もなかった。何か特徴があれば目立てるのではないか。週末しか帰省できない環境のせいか、誰かに注目され相手にして欲しかった。そんなとき、彼はぼくの真似をし始めた。ジャージを着ると彼もジャージを購入した。大好きだった嵐を聞くと、彼も聴き始めた。

ぼくは次第に距離をとっていった。わずかな趣味や特徴を真似されると、ぼくに残るものはなにもない。ぼくが始めたことでも、彼が真似をすると彼が目立つ。怒りを制御できない自分が少し怖くなった。

彼が高等部に進学する頃には、ぼくから話しかけることは無くなった。完全に嫌いな相手になっていた。しかし、彼は相変わらず話し掛けてくるし、真似も続ける。

やめてほしいとお願いをした。真似をされることが本当に辛いんだと。だからもうしないでほしいと。彼は了承した。

数日後、なにも変わっていなかった。
約束を問うと、そんなの気にするなと言った。我慢の限界だった。今思えば、真似をしないのは無理があるが、当時のぼくは感情のコントロールができなかった。

次の瞬間「お願いだから、死んで。」と言った。

次の日、学校に呼び出された。彼がぼくの発言をリークしたらしい。管理職や他の教員は怒っていたが、後悔はなかった。ぼくは何度も傷つけられたが、それは第三者には分かり用のないものだった。ただ担任の先生は理解してくれてたようで、涙を流していた。ぼくはその涙に謝った。

その年のゴールデンウィークに彼は母親の実家がある島根に帰っていたが、そこで体調が悪くなり、ヘリで病院に戻ってきた。まさかと思い、彼の病室に行った。だがその心配は必要なかった。元気に話しかけてきて、いつものようにぼくをイラつかせた。ただ少し寂しそうなのが気がかりだった。

翌日、読みたいと言ってたメジャーの漫画を持っていった。彼は嬉しそうだった。

数日後、彼の母親が来ていた。家族ぐるみの付き合いだったため、3人で会話した。彼は棒で文字盤を指して話していた。声が出にくいらしい。それがぼく達の最後の思い出だった。

同じ病室の友人が血相を変えて来た。すでに想像がついた。今度の心配は当たったようだ。この前、話した母親が泣き崩れていた。彼は持病の心臓が原因らしく、顔が大きく浮腫んでいた。心の中で別れの挨拶をして病室を後にした。

翌日、普段通り学校に行こうとしてると、父親が来た。昨日の知らせを聞き駆けつけたらしい。ぼくはされるがままに車に乗せられ、葬儀場まで運ばれた。その日の天気は大雨で何度も車がスリップしかけてるのを覚えている。彼は泣いているのだろうか。

会場に着くと学校関係者や彼の友人など見覚えのある顔ぶれだった。皆一様に少し涙を浮かべていた。ぼく以外は。ぼくは彼が嫌いだ。いなくなったからといって、それが変わるわけではない。

節目で彼を思い出す。高校を卒業したときも、彼の年齢を超えたとか、大学卒業のときは彼がいたらどんな仕事をしてたのだろうとか。その日から7年が経つがいまだに記憶から離れない。

彼の17年は幸せだったのだろうか。今もそんなことを思いながら、思い出を書いている。

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